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ヨーテボリのラーメン事情

ラーメンリポート第一弾。
先日Korsvagenから自宅まで歩いていると・・・ついに見つけました。

Sushi屋の看板に「Siu mai Noodle」と書いてある。写真付きで。写真から判断すると、それなりにちゃんとした縮れ麺・・・

ついにヨーテボリでラーメン屋を見つけたか!?

以前にもラーメン屋らしきものは見つけましたが、行ってみるとすでに潰れてました・・・

ちなみにそのSushi屋の名前は「Hatsukoi Sushi」。ハートマークのロゴ・・・ハートの中には鯉かと思いきや、マスか鮭・・・

さらに気になるのは、「Siu Mai Noodle」=「シュウマイラーメン」ということか?

いろいろ怪しいが、値段が55Kr(=約700円 2010年3月2日現在)ということで、試すには悪くないだろう。

日本人の友人Tと行きました。


結果。

チキンラーメン+シューマイ+レタス

日本にいたらブチ切れもんなクオリティでしょうが、

しばらく本場のラーメンから遠ざかっていたブランクのせいか、

まぁ、食えなくないかな。と不覚にも思ってしまいました。

麺はインスタントと思われる乾麺ですが、なんせ、量が多い。そしてシューマイはうまい。

日本から観光に来た人はラーメン求めに行くべきではないですね。 ネタとしてはありか。

ちなみに、この店のレビューを見つけました⇒http://www.sushikartan.se/0148857/Hatsukoi_Sushi

なんと、4人中2人が5点満点中4点つけてます。レビューをみるとSushiがうまいのだとか。

*気づいたこと*
・味噌汁飲み放題
・日本風なお茶飲み放題
・箸が割り箸じゃない
・「アボカド握りセット」と「アボカド握りとマグロ握りセット」が同じ値段。つまり、日本人には理解できない価格設定。
・焼きそばっぽい炒め麺、チャーハンっぽい焼き飯、餃子定食風何かも有る。
・店の人は親切
・店の人は客と一緒に昼飯食べる
・店のおばちゃんの息子は日本語勉強している。
・日本から留学している、と言ったら、コーラをつけてくれた。ラーメンとコーラという奇跡の組み合わせ。

しかし、このサイト”Shushikarten”みればわかりますが、スウェーデンにSushi Restaurantいくつあるんだ・・・

ちなみに、あえて「Sushi」と書いたのは、ほとんどが外国人経営で、何故か「寿司」とは別物に感じるからです 笑

けど、慣れってこわい。もはやわかんない?

.02 2010 Diary in Sweden comment0 trackback0

コミュニティ崩壊

せっかく留学に来たんだから、日本人以外としゃべろう

というのは、よくある傾向ですね。せっかくの海外だし、外人と時間を共にするのは当然、英語の勉強にもなるし。

自分の早稲田大からは、アメリカへの交換留学の枠が多く、アメリカへ行くと、同大学から派遣されてきた人ばっかり、つまり、日本人ばっかり、なんてこともよくあるらしいです。

スウェーデンはというと、ヨーテボリに限って言えば、早稲田・慶応・東工大・学芸・ICU・阪大・同志社・神戸・関西外語・北海道・静岡・高知・・・まぁざっと20人はいるんでしょうね。

日本から「スウェーデンに交換留学」というと、一見レアな感じもしますが、実際そんな人はけっこういるんですね。こうして数えてみるとそんなにいたっけ?!と驚きます。


こちらに到着したての去年の9月、まだまだ、俺も外国人と話すぞー!と意気込んでたときです。

スウェーデンに何年か前に交換留学できていた方と食事を一緒にした時のこと。

その方は言う。「留学には”勝ち組”と”負け組”がある」と。

せっかく海外に来たのだから、日本ではめったに出会えない外国人留学生と知り合い、英語も上達して、日本に帰る人。
一見、これが”勝ち組”にみえますが、実はそうではない。
これが20年前なら、日本から留学に行く人なんて少ないし、上に挙げた例が”勝ち組”になりえたかもしれない。

では、本当の”勝ち組”とは?

それは「ココでしかできないこと」をやった人。
留学生という枠を超えて、スウェーデンという場で生活することで学ぶことがあるはずだ。
本ですべてが学べるなら、わざわざ”現場へ”行く必要はない。けど、実際は”現場”に行ってはじめてわかることだらけです。
具体的には、日本人のコミュニティーを見つけること。そことつながることにより、「ここでしかできないこと」ができるかもしれない。なぜなら、スウェーデンに住む日本人は、ある程度のステイタスをもって生活なり仕事なりをしている可能性が高い。だから、そこでできるつながりによって経験できることは、大学の講義や留学生との交流よりも、より「スウェーデン」に近い。
大学の講義(学部)なんて、それに比べたら、万国共通なのだから。

僕の解釈が正しければ、こういうことを言われました。

その頃は、はーなるほど、とただ聞いていただけですが、今半年ほど生活してみて、自分なりに考えていることがある。

まず、上の勝ち負け、というのは、あくまでその人の留学の目的次第。
英語習得だけであれば、留学生とだけの交流だって問題ない。思い出づくりであれば、楽しいパーティばかりだって問題ない。
だけど、それだけではない。それ以上を求めるなら、自分で一歩外へ踏み出す必要がある。

例えば、やっぱりこっちに来て思うのはスウェーデン人と出会うのは難しいということ。当然、スウェーデン人はスウェーデン語を好みますし、授業も英語で開講されているものは、大方留学生です。だから、普通に大学で英語の授業行って、普通に生活していたら、なかなかスウェーデン人とのつながりは増えません。
でも、日本だったら、、、と考えてみると、それは当然ですよね。東京で大学生をしていましたが、3年間で外国人留学生と出会ったことはたった数回。顔・名前すらも覚えていません。
スウェーデン人はシャイだ、社交的ではない、なんて話は聞きますが、じゃ日本はどうなんだ?
要するに、
自分からコミュニティを一歩出て、新たな領域に一歩入るしかない。
それをやらずに、ああだこうだ言うのは、単に逃げているだけだと思う。

実際、こちらの知り合いで、地元のクラブなどに参加してスポーツを通してスウェーデンのコミュニティに入っていったり、音楽であったり、日本人補習校のような地元の学校であったり、大学の日本語学科であったり、政府機関であったり、視野広げて動けば道はいくらでもあります。もちろん「動けば」ですが。

また、
(一時的に)日本人嫌い/外国人を好む傾向がある、というのは冒頭でも言いました。
意識の高さはすごいと思いますが、僕は賛同はしません。
例えば、スウェーデンで日本人に会ったとして、そいつとは帰った後日本で会えるし、むしろ外国人ともっと絡もう、といって日本人を特別視する。果たして、日本に帰ったあともその人とつながりはあるのでしょうか。
同じらへんに住んでいるから、後回し、なんて言っていたら、どんどん出会うチャンスを逃すと思うのです。
人との出会いって、単に物理的距離ではないと思う。そんなもんではないはず。一期一会なんて言葉もあるように。
自分がむしろ心がけたいのは、そういう偏見をなくす事。日本人か、欧米人かなんて関係ない。あくまでそこにいる個人である。

おもしろい、と思えるやつがいたならば、そいつと話す。
そいつが何人か、何語で話すか、なんて関係ないでしょう。
なんか、すごく当たり前のように思えますが、実際に海外に行くとなぜか引っかかる問題だと思います。特に、期間が限られている交換留学など、特に意識が高い人ほど。

すこし、それと関連していますが、先日Swedish Politicsの授業で、
国は考えない、国は行動しない。
あくまで考え、行動するのは、人である。
という社会科学の論文批評で大切なポイントを知りました。
つまり、マクロなものは実際には「存在しない」もの。例えば、「国」というのは実際には実体がない。そこに住む「人」をその国民というだけである。あくまで実在するのは国境くらいでしょうか。「○○国人」も実在しない。いるのは、例えば○○国出身のジョンというミクロな個人である。
ただ、一つ一つ違う個体をいちいち分けていたらきりがないので、分類する。「○○国人」というように。

これは、養老猛司の本「無思想の発見」にも出てきた。
世の中に全く同じリンゴは2つもないのに、私たちは「同じ」リンゴという。
もっといえば、直径10センチのリンゴも15センチのリンゴも同じ「リンゴ」である。
高い声で言った「おはよう」も、低い声で言った「おはよう」も、音程の高さに関わらず、私たちは同じ「おはよう」と理解する。
それが意識世界である、と。「同じ」を作り出す、と。

では、
君と僕、考え方も顔も髪型も何もかも違うのに同じ「日本人」である。
僕と彼、考え方はすこし似ているのに僕は「日本人」で彼は「スペイン人」である。
顔・体・育ってきた環境という要素を「違う」とみなし、分類された結果である。もっといえば、生まれた場所さえ「同じ」領域内ならば、「同じ」国出身ということになる。
こんな小さな「同じ」に、とらわれる意味は?

とらわれるがために、多くの機会を失ってしまうかもしれない。

けれど、わかってはいても、実際、その「違い」を意識してしまうのだ。

アジア人という差別だって。
そう差別されていると思ってしまう自分だって。




.02 2010 Diary in Sweden comment2 trackback0

空を読む

空気とはなんなんでしょう。

空気:
その場の状態や気分。雰囲気。また、社会や人々の間にみられるある傾向。
(大辞林)

空気を読む。

よく、「お前、空気読めよ」なんて言いますよね。

「空気」を「読む」つまり「感じる」
それを、感じた上で行動する。
それが、日本人独特な考え方、という話はよく聞くし、実際にこっちでも日本との違いを実感します。

でも、よく考えてみると、いつからそう「言う」ようになったんでしょう?
つまり、”空気を読め”と「言う」ように、いつなったんでしょう。
自分の21年という短い人生を遡ってみると、高校から、つまり6年前くらいからです。
”空気を読め”という「言葉」を普段から聞き・言うようになったのは。

もっと前からあったんでしょうか?
少なくとも中学・小学校では記憶にありません。
記憶にないだけで、自分が中学生のときに高校生・大学生だった人が使っていたのかもしれませんね。
つまり、「社会」が近づくにつれ意識が「空気を読む」。だから口に出てしまうのでしょうか。

でも、俺はなんだかそんなことではないのではないかと思います。

では何かというと、
昔は、「口に出して言う」必要がなかった。
なぜならそれが根本的に存在する暗黙のルールだったから、つまり、「当たり前」だったから。
わざわざ口に出さなくてもみんなわかっていたから。それが、日本人だった。

けれど、西洋化・近代化・個人主義化を通して、
だんだんと個人がそれをわからなくなってきた。
つまり、口に出して言わないとわからなくなってきた。
もっといえば、「当たり前」ではなくなってきた。

よく、高校の先生などが、「お前らは、言わないとわからなくなった」なんて愚痴をもらしますが、つまり、暗黙の了解という社会的規範が薄れてきた。口に出して表現しないと伝わらなくなった。

そんな気がふとしました。

たしかに、こっち(スウェーデン)で人と話していると、日本で言うところの「空気」というものはあります。
が、気にしない。もちろん場合によりますが、一般化するとやっぱ、日本人目線では、「空気が読めない」のが外人でしょう。
感覚的には、空気を必要以上に気にしない・読まない、のが外国では当たり前でしょうか。
だってそれは個人の問題ですから。

個性を伸ばす

なんていう教育方針がありますが、明らかに個人主義の影響でしょう。
そんな方針は西洋化以降はなかったから、これは西洋化の影響でしょう、もちろん。

空気を読むのがいいのか悪いのか。それは、時と場合によりけりで、自分次第ですが、
やっぱり世界は均一化していくのでしょうか。

ちょっと話はそれるかもしれませんが、
スウェーデンのトラムは日本の電車に比べると、かなりうるさいです。
大声でしゃべる若者、電話は当たり前。
日本だったら、ここで一発サラリーマンのおっちゃんががつんと「うるせー」なんて怒るんだろうか。
そんなことを考えてしまいます。

また

イタリア人に酔った勢いで、トラムの駅で叫ばされた時。
俺がちらりと周りの人の目を気にしたとき、すかさずそのイタリア人が、
「まわりなんか気にしてんじゃねー」
とつかみかかってきました。空気なんか読むな、と。自分が重要だ、と。
まぁこれは単に”酔っ払い”という説もありますが・・・笑

という感じで
「空気」とは?なんなんでしょうね。



.26 2010 Diary in Sweden comment0 trackback0

優越感

「相手を抜き去った時の、ザマミロ感」

またまた、僕のサッカー人生におけるバイブルである漫画「ファンタジスタ」より。
たしか、「サッカーの何が楽しいの?」という問いに対する、竜ちゃんの答えだったような。

---

寒い、ということを言い訳にずいぶんとサッカーから遠ざかっていましたが、昨日久しぶりに、サッカーをしました。

Olofという学生寮の中にある小さな体育館で、ケニア人・アイルランド人・スペイン人・日本人でフットサル。

2時間ほぼ動きっぱなしで、最後の方は足の裏が皮剥けてるんじゃないか、くらいに痛んだ。

けど、やっぱスポーツはいいっすね!

ヘロヘロになって声も出ないながらも味方・相手のプレーを称え、時に罵り・・・
そんなコミュニケーションはスポーツ特有ですね。

そこで、僕がスペイン人とアイルランド人に我ながら見事な”また抜き”を決めて、点をとりました。

へへへ、これがあの”ザマミロ感”・・・久しく味わってなかったな。

日本代表はスペイン代表には勝てないけど、一人のスペイン人になら勝てる!w

当然、その後、手厳しい”当たり”を食らうことになるのですが・・・笑


しかし、ケニア人のガタイの強さには、完敗。

ちくしょーマジ反則だろう。

---

そろそろ、社会人チームなどを探して参加してみようと思います。

異常気象でスウェーデン中南部に寒波が来てるみたいで、まだまだ春は遠そうですが・・・

大量の雪と、それに伴うトラムの遅延に悩まされる毎日です。
.23 2010 Diary in Sweden comment0 trackback0

Noと言えない日本人。

先日、旅先で出会ったアメリカ人から、Facebookでメッセージがありました。

Hey I have a weird question... Here in Barcelona, I have this very old professor...like 85 years old. He said that there´s no word for "no" in Japanese. Is that true? As soon as he said that, I was thinking..I´m going to have to ask my new Japanese friends about this!

日本には”No”に該当する言葉がない。それは本当か?

という質問。

実際、スペイン人によく言われます、「日本人はNoと言えない」と。

以前、スペインに旅行行く前に、
「Noと言うときは言わないと、とんでもない目にあうかもしれないから、気をつけてね」
とも言われました。もうほぼ説教ですね。

特に、たとえば、日本人の女の子がクラブで男に絡まれる(単にしつこく話しこまれる程度ですが)。その子らはニコニコしてるから、男は自分に気があるのかと思い、ますますしつこくなる。
なんて場面、たまに目にします。
逆に、外人の女の子の場合、その男に興味なければ、話を続けることも難しい空気を作り出します。

日本だったら、日本人の女の子でもそんな空気作れるんでしょうが。
なんせ、外人の押しが強い、ってのも断れない原因なんでしょうかね。

逆に、スペイン人なんかは、すぐ”No”を言う、という印象があります。
たとえば、何か飲み物を勧められても、結構な確率で”No”といったり、すごく”嫌い”が強い気がします。

自分なりの分析では、
日本人は、No・嫌いと思うことがあっても、それを「表に出す」ハードルが高いのだと思います。
逆に、外国人(というかスペイン人)は、このハードルがすごく低い。

今でも覚えています。
去年スウェーデンについてすぐ、留学生何十人かを呼んで寿司パーティをやったとき、一人のスペイン人に「私は(その料理が)好きじゃなかった」と言われた。わざわざホストの俺に言わんでも・・・とそのときはかなりショックでしたが。
そんな例もありました。

つまり、自分の中で処理してしまうのが、日本人。これを我慢というのでしょう。
また、それを「表現」するにも、処理した上で言い表すから、間接的に・やんわりと、否定することになる。

個人的に、自分はその”ハードル”はすごく高いと思います。
それは、経験してみないと、YesかNoかわからないから。
Noといって、経験しなかったことで、後悔したくない。そういう気持ちが強い。

たとえば、駅伝。
前にランナーが見える。そいつに追いつくために、大きな一歩をだすか、ださないか。出さなければ、追いつくことはできない。で、あと一歩だす。そうすると、また同じ質問。どうする?あいつに追いつくまでは、がんばる。
そいつを追い越したら、次のランナーが見える。どうする?・・・・
ここでNoといってあきらめてしまう、そんな自分が嫌。「勝つ」という一種の自己満足的経験をしたいがための、Yes.
俺が駅伝やっててきつくなったとき、考えてることです。
(高校では、体育で駅伝が必修だったので。なつかしい)

「自分がいないところで何か最高に面白いことがあったら嫌だから、俺は全部Yesといって何にでも参加するんだ。」

これはとある飲み会幹事の言葉を自分の偏見で解釈した言葉です。

だから、むしろ、個人的には「Noと言わない」ようにしたいと思っています。
なんせ、すべて「経験」なもんで。

「断る」かどうか、とはまた違う問題ですが、
「気」というものの存在もでかいといいます。

楽しいことは疲れない。嫌なことはすぐ疲れる。

「気」のもちよう次第で同じ動作・ものごとが、180度変わってしまう、なんてことはよくあることで、
Yesといって「受け入れる」ことから、世界は広がっていくのではないかな。


Noと言えないことが必ずしも悪いこととは思いません。
自分の中で処理して我慢する、それができることはすごいこと。
けど、
Noと「言えない」のか「言わない」のか、これはすごく大きな違いだな。
自分にとってのNoの基準をしっかりもつこと、そして、それをどの状況で「言う」のかをしっかりと見極める必要がありますね。

というふと、とりとめもなく考えたことでした。

ちなみに、最初に載せた、アメリカ人からの質問に、あなたならどう答えますか?
.18 2010 Diary in Sweden comment0 trackback0
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プロフィール

littlehawk

Author:littlehawk
スウェーデン・イェーテボリ大学留学後、本格的に海外展開したいと考えています。

旅の記録・日々感じたこと・勉強していること・イベント告知・・・ジャンルはごちゃ混ぜです。

留学全般、特にスウェーデン、北欧諸国についてのご相談、英語学習についてのご相談など何でも気軽にコメントを下さい。

Hello, hej, hola!
I'm a student in Tokyo, Japan.
This blog is used as a place to express my daily thoughts, about my academic studies, and about my travel experiences to Europe(19 countries)/Asia/Africa/America, etc. Recently, I try to write what I've experienced in Gothenburg/Göteborg, Sweden, where I was studying for one year, 2009-2010.

My interests:
Sustainable development issues, complementary currencies, community currencies, eco-village projects
My hobbies:
camping, cycling, and other outdoor activities, paying football
Places I've been:
Sweden, Norway, Denmark, Iceland, UK, Ireland, France, Germany, Spain, Italy, Poland, Czech, Slovakia, Hungary, Romania, Bulgaria, Turkey, Estonia, Kenya, India, United Arab Emirates, Oman, Thailand, Korea, China
Languages: trying to learn Swedish, Spanish, Chinese

I'm trying to update this blog in both languages Japanese and English!
Plz contact me:)

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